9月最終日のソロツーリングでの出来事になります。

6月・7月は雨が多く・・土日に乗ることがほぼ無理でした
8月は・・・逆転の猛暑で空冷のモンキーが乗れず
9月になってしまいました。

のんびりお付き合い下さいませ。

ここ最近走らせていない、モンキー1号車の健康診断を含め
犬吠埼へ散歩ツーリングをしました。

コースは常陸大橋(逆水門)から千葉県飯岡に向かい、千葉県犬吠埼に向かいました。







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 今回はツーリング時間が2時間位しかなく、午後から家族の買い物があった為、ショートコースになりました。

そんな中、新しい出会いというのは突然ありました。

 新しくオープンした犬吠埼のパン屋にて、昼飯用のパンを買って、外のベンチでのんびりしていると、カワサキ 2ストの珍しい音のバイクが目の前に駐車しました。

ベンチに座りながら、凄く古いバイクだなーと見ていると・・・
なんとKAWASAKI Mach3 



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正直 マジマジみたのは久しぶり
こんなに近くで又Mach3に出会えるとは・・・


この年輩の方が、私のベンチの隣に座り
ツーリングで来て居た、400ccが黄色いナンバーを付けて駐車していた件に、雑談を持ちかけられました。



「ありゃーあかんな・・ナンバー詐欺だよな・・・あれ?」



あれこれ話をしていると、どうやら地元で雨降りそうだったので、近場を走らせにきたといってた。

話を再度良く聞いていると、I君の昔の家の前の方というのが判明!
(゚Д゚≡゚д゚)エッ!?


まじですか・・・超地元でないですか・・
それに私の知り合いのI君と知り合いだったとは・・


以前 I君が家の近所にMach3もっているオヤジさんが居ると聞いていたが・・
こんな間近にであえるとは・・・



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改造してあったMach3をノーマルにもどしたそうです。
やはり、ノーマルはかっこいいの
3本マフラーが風格があります。





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カワサキ Mach3 概要


マッハ (MACH) は、川崎重工業が製造販売していた2ストローク3気筒エンジンを持つオンロードタイプのオートバイシリーズの総称である。


概要



1969年に北米で販売を開始した 500 cc (H1) の成功を受け、1972年モデルでは排気量 250cc(S1)、350cc(S2、後に400cc のS3)、750cc (H2) の3車種を加え、計4車種の2ストローク 3 気筒車群を形成し、これをマッハシリーズと呼んだ。さらに、H1およびH2の大排気量車種を「Big Mach(ビッグマッハ)」と呼び、排気量の小さい(フレームも異なる)S1、S2、 S3を「Middle Mach(ミドルマッハ)」と呼んで区別されることもあった。

1976年モデルでこれら車種の名称をKHシリーズへと変更するまで、この「マッハ」の愛称が用いられ、250cc/350cc/500cc/750ccの各排気量を持つ車種に対してそれぞれマッハI/マッハII/マッハIII/マッハIVと命名された。750ccモデルのH2は「MACH IV」に相当し、カワサキのサービスマニュアルなどにもこの名称が使われているが、日本向けH2(750SS)のサイドカバーには“MACH III 750”というエンブレムが装着されている。500ccモデルのH1発売時、もともと「MACH III」の“III”は「3気筒」を意味するものであったので、その意味では750ccモデルの「MACH III」も誤りではない。その一方で、同様に3気筒である250ccモデルと350ccモデル・400ccモデルでは、「3気筒」を意味する“III”の愛称はなぜか用いられていない。

日本向けモデルの名称に関しては、公称排気量のあとに“SS”が付加された(例「カワサキ500SSマッハIII」など)が、輸出車にはこの“SS”はなく、「Kawasaki 500 MachIII H1」と排気量に型式名が付く。

1975年Z650が発表され、これにバトンタッチするかたちでH2が消滅。1976年には排ガス/騒音規制の影響で全KHシリーズが北米から撤退。運転免許制度の関係等で北米以外でも需要の見込めた250と400は存続したが、500はこれをもって型式消滅した。1980年モデルを最後に250と400の欧州向け輸出も終了となったが、日本向けとして1983年ごろまで生産された。

シリーズのタコメーターには、ナラシ運転時の走行距離と回転数制限と(500マイルまで4000回転、1000マイルまで6000回転)がパネルそのものに印刷されていた。(後にカバーガラスへのステッカーの貼付に変更

モデル一覧

500SSマッハIII (H1)

初期型 H1(ウィンカーは未装備)

北米における1966年のA1(サムライ、250cc)、翌年のA7(アベンジャー (Avenger) 、350cc)の成功で ZAPPER(Z1/Z900参照)指向を固めたカワサキは、絶対的な高加速度を持つ高出力車の開発を行い1969年はじめには対米輸出用の生産を開始した。日本では北米よりやや遅れて1969年9月より販売された。

発売当時の米国ではまだ過大な燃料消費とオイル消費や猛烈な白煙に寛大であり、低廉な車両価格(1,000ドル以下)と圧倒的な加速性能(カタログスペックでは0→100mで約4秒)で販売成績も好調であった。しかし、操縦性においては少ない前輪荷重などが災いし、万人向けとは決していえないもので、他社種に比べ高い事故率を示すことがメディアで報道されるなど、「乗り手を選ぶ」バイクというイメージが世界各国で定着した。従来のタイヤでは500SSのパワーに耐え切れずテスト走行中にトレッド剥離が続発したため、ダンロップが新しくH規格のナイロンコードタイヤを500SSのために開発したほどであった。

1972年Z1発表以降は、最高出力を下げマイルドな方向への性格付けが行われていった。そしてついに、1975年KH500と名称変更した1976年モデルは排気ガス規制および騒音対策のため最高出力が 52ps と大幅ダウンされ、さらに、DOHC4気筒Z650が同年発表になった段階において“ZAPPER”としての存在意義が希薄化し、カワサキもそれに抗うことなく1977年モデルをもって製造を終えた。

北米での広告には、同社で製造されていた0系新幹線(当時、世界最速の鉄道車両だった)が500SSと合わせて描かれており、「THE WORLD'S FASTEST PRODUCTION MOTORCYCLE」と記されていた


引用先


昭和の2ストバイクは、私的にはあまり好意的ではなかったのですが、こうして今時代にみると昭和のバイクは本当に味が合ってかっこいい

さて! 次はどんな出会いがあるのだろう







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